
対し、大学は門戸を閉ざすべきではない。結論的にいえば、政策系学部はもっと柔軟なカリキュラム編成をするべきである。学生のニーズや要望、個々の能力に応じて、多様な選択肢を用意すべきではないか。ある学生は1.2年次には現行のように語学と情報処理を徹底的に学びたいと思うかも知れない。それはそれで結構である。しかし、ある学生は語学だけ、あるいは情報処理だけに重点を置いて学習したいと思うかも知れない。また語学や情報処理よりもまず政策系の専門科目を重点的に学びたいと思う学生もいるかも知れない。大学は最初の類型の学生だけでなく、後の3つのタイプの学生にも対応すべきではないか。そうでないと、結局、語学やコンピュータを器用に使いこなすだけの人間やそうした方面にしか関心のない人間が政策系学部に集まり、そこから社会に輩出されることになってしまう。それでは、政策系学部のそもそもの理念に反するのではないか。外国語や情報処理以上に1.2年次の学生に必要なのは、政策形成の現場との交流である。とくに政策をめぐる実際の紛争現場を肌で体験するような基礎演習科目が、1年次で必要ではなかろうか。しかし、政策系学部の理想と現実とのこうしたギャップは、外国語や情報処理科目だけでなく、一般教育科目のあり方にも原因がある。次にこの問題を見ていこう。
(2)一般教育科目は必要か?
大学設置基準改正の最も画期的な点は、授業科目区分の廃止であった。これにより、従来の一般教育科目、外国語科目、保健体育科目、専門教育科目の区分が撤廃された。しかし、これに対しては、とくに一般教育科目担当者や国立大学の教養部の教員側から「一般教育科目の軽視」との批判が噴出し、文部省もこれに配慮した結果、結局のところ一般教育科目は看板をつけかえただけで、生き残ったのである。前節でみたように、大学によっては、政策系の専門科目よりも語学や情報処理を含む一般教育科目の履修単位の方が多いところさえある。しかし、政策系学部は社会科学の総合学部としての性格上、法学部や経済学部にくらべ多様な専門科目を履修することを学生に要求する。しかも、就職協定が今年から廃止されたこともあり、実質的に大学で学ぶことのできる期間は3年を切っている。この短期間の間に語学や情報処理、一般教育科目、多様な専門科目をすべてマスターするなどということは、まず不可能であろう。結局1,2年次に集中的に履修する語学・情報処理がメインとなってしまい、3年次以降に集中的に学習するはずの政策系科目は結局中途半端に終わってしまい、それこそ教養のレベルにとどまってしまう。こうしたカリキュ
前ページ 目次へ 次ページ
|

|